浜町公園について
1923年の関東大震災は東京中心部、特に隅田川の両岸に大きな被害をもたらしました。
震災後の復興には予算、人材、時間を費やして、防災に配慮し、欧米のスタイルを取り入れたモダンな施設やインフラが作られました。その代表的なものが、震災復興道路、公園、橋、小学校です。
浜町公園は1929年開園の、震災復興大公園のうちの一つです。明治神宮外苑を設計した折下吉延氏が同様のコンセプトを用いたといわれます。神宮外苑の有名なイチョウ並木に似た、公園のアプローチとしてのイチョウ並木がやはり正面入り口、人形町方面から隅田川に向かって配置されています。浜h工公園の特徴は、反対側が隅田川に開かれていて、舟運にも対応していたことです。
神宮外苑ほどの面積はありませんが、園路を組み合わせたゆったりとしたつくりで、モダンで優雅な雰囲気がありました。
しかし第二次大戦で被害を受け、その後はスポーツ施設などが作られていきます。入り口からみて左手の北側に大きなスポーツグラウンド、右奥の東側にスポーツセンター、東南隅に葬祭場、地下に駐車場、といった具合です。
最大の特徴は、豊富な樹木で、都心の一角に樹林を提供しています。樹齢百年とみられるケヤキ、イチョウ、クスノキをはじめ、数百本の高木が並びます。サクラの名所でもあります。
特徴的な4列並木
浜町公園の入口に至る、イチョウの4列並木は、明治神宮外苑とも共通するものです。同じ折下吉延氏の設計です。
上記論文では、浜町公園の大きさに比して、4列並木のアプローチの成否が指摘されていますが、公園の大きな特徴であり、公園にストーリー性を与えていることに変わりありません。
震災復興と4列並木はつながりがあります。新たに作られた道路(昭和通り、八重洲通りなど)は4列並木が基本だったのです。それは震災時の火災から人命を救ったのが樹木であったことから、防災の観点でも街路樹などがしっかりと取り入れられたのです。
右図は、さしあたり孫引きになりますが、上記論文からです。
樹齢100年の樹木
開園時の樹木は、残念ながら、戦災によって焼けたものと思われます。
戦後に植えられた多くの樹木は、樹齢100年になります。
左の写真は、公園南側のケヤキです。見事な枝ぶりで、おそらく中央区内で最も立派な姿と思われます。
この木をどこかにここからどかすなど、考えられません!!